伊藤東涯南獻象五古一篇

現代語訳

享保十三年(戊申)、広南(ベトナム)より手懐けられた象が献上された。翌十四年(己酉)四月二十六日、その象が京都に入った。この出来事を詩に詠んで記録する。
造物主(大造)は、この世のあらゆる生き物を育てているが、巨大なものから微小なものまで、それぞれにふさわしい住み分けがある。
伝説の巨木「霊椿」の話は空しく伝わっているだけであり、巨大な魚や鳥である「鯤鵬」の話もまた、あまりに現実離れした作り話だ。
しかし、この「象」だけは、通常の獣の類を超越しており、その姿は極めて逞しく立派である。
もともと南方の荒野に生息する動物であり、わが国とは万里も離れ、風土も全く異なっている。
(古典には、火をつけられて暴れる象や、象牙のために殺される象の悲劇があるが)今はそのような不幸な話はしてくれるな。
かの地(ベトナム)では天の恵みによって象の種が実に繁栄しており、人が乗ったり飼ったりするのは、まるで牛やロバを扱うのと同じように日常的なことだという。
仏教で「三つの獣が川を渡る(悟りの深さの比喩)」に例えられ、また「群盲、象を撫でる(一部を見て全体を誤解する)」という説話でしか知らなかった存在がいま目の前にいるのだ。
かつて応永の年(室町時代)にも、鸚鵡(おうむ)と共に献上されたことがあると聞く。
だが当時の記録は詳しくなく、我々はただ図面を見て想像し、その姿をなぞるしかなかった。
ところが今、まさにわが国は盛運(徳川吉宗の治世)に恵まれ、行き届いた政治の恩恵は辺境の海辺にまで及んでいる。
かつて呉の国から美しい織物が届いたように、遠い異国からこの珍しい動物がやってきたのだ。
ベトナムの地からはるばる海を越え、象が献上されてきた。
「潭数」と「潭綿」という二人のベトナム人飼育員が付き添い、象の扱い方を(日本の)象使い(象奴)たちに教えている。
バナナ(甘蕉)の葉やクズ、また占城米(ベトナム産の赤米)を餌として与え、馬の秣(まぐさ)の代わりにしている。
制御するための特別な道具などは持たず、ただ「殳(しゅ)」という武器に似た形状の一本の杖(アンカサ)を使うだけだ。
象はひざまずいて人の言葉を理解し、歩くも止まるも指図ひとつに従っている。
前年に長崎に到着し、この夏、洛中(京都)に滞在した。
その鼻はぐるぐると渦を巻くように曲がり、その足はどっしりと太く、まるで建物の柱のようだ。
沿道は人々が垣根のように並んで見守り、街路という街路は象を見ようとする人々で溢れかえった。
この珍しい生き物を、幸運にもこの目で直接見ることができた。この壮大な眺めは、私の狭い見識(先入観)を打ち破るに十分なものであった。

伊藤東涯の書風

伊藤東涯の書風は

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