
中谷梧葊男輝謹修尺書 左右自敞父沒旣五年矣其在世時或語其舊鄕諸學士先生事則嘖嘖稱閣下橋梓不輟焉輝竊怪敞父於人不有所揄揚而特稱 閣下橋梓者何居屬者探篋底得郢作若干篇乃 閣下所贈敞父懇傾之情靄然楮間又閱家乘則尊公亦嘗顧草廬云斯知不唯敞父稱 閣下橋梓閣下橋梓亦愛敞父盖其心卓卓游樂形骸之外者乎爾不爾則 閣下貴邦大望旅非敞父衡門者之類矣 閣下橋梓夙任一鄕之政非敞父流遁者之類矣閣下橋梓道孚上下聲騰遠邇非敞父拓落者之類矣然以何其相戀戀之至此也夫貴邦之殷諸學士先生何限敞父所相知識亦何鮮然而其心卓卓游樂形骸之外者幾人也宜哉其稱之不輟焉特悲敞父在世而輝不能達其言今達之而敞父則亡矣罪無所謝是惡得不修尺書左右以鳴之乎不出數年輝將趨 貴邦問敞父之舊鄕伏惟閣下橋梓憫其不敏待以通家之誼則屋烏之愛敞父亦有感於窀穸哉 尊公不別修書請見致此意時氣漸冷千萬自珎不旣
仲秋三日中谷輝拜頓首
廣田檣棟君閣下
現代語訳
中谷梧葊の息子、輝(中谷雲漢の実名)が謹んでお手紙を差し上げます。
私の父が亡くなってから、すでに五年が経ちました。父は存命の折、旧郷の諸先生方のことを語るたびに、あなた様とそのご子息(橋梓)のことを、口を極めて褒め称えておりました。当時の私は、父がこれほどまでに誰かを絶賛するのはなぜだろうと、不思議に思っていたのです。
ところが先日、古い箱の底からあなた様が父に贈られた詩文を数篇見つけました。そこにはあなた様が父へ寄せた深い情愛が、紙面いっぱいに溢れておりました。また家系図や記録を読み返しましたところ、あなた様のお父上もかつて我が家を訪ねてくださったと記されています。これを見てようやく理解いたしました。父があなた様親子を慕っていただけでなく、あなた様方もまた父を愛してくださっていたのだと。おそらく、互いの心が世俗の立場を超えた高い場所で響き合っていたのでしょう。
そうでなければ、説明がつきません。あなた様は貴国の名望家であり、粗末な門に住む隠者であった父とは身分が違います。あなた様は早くから故郷の政治を担い、流浪の身であった父とは立場が違います。あなた様の名声は上下に響き渡り、孤独であった父とは境遇が違います。それなのになぜ、これほどまでに深く慕い合っていたのでしょうか。
貴国には優れた学者が数多くおられ、父もまた多くの知己を得ていました。しかし、肉体や立場といった形あるものを超えて、魂で交わえる友が果たして何人いたでしょうか。父があなた様を絶え間なく称賛していたのも、当然のことだったのです。
ただ悲しいのは、父の存命中に私がこの感謝を伝えられなかったことです。今こうしてお伝えしようとしても、父はもうこの世にいません。この至らなさを申し訳なく思い、いてもたってもいられず、こうしてお手紙を差し上げて私の心の内を訴えた次第です。
あと数年もすれば、私は父の故郷である貴国を訪ねたいと考えております。伏してお願い申し上げます。あなた様におかれましては、私の至らなさを憐れみ、家族ぐるみの付き合い(通家之誼)として迎えていただけないでしょうか。「屋烏の愛(人を愛せばその家の屋根に止まる烏まで愛おしくなる)」と言います。もし私を受け入れてくださるなら、地下に眠る父もどれほど喜ぶことでしょう。
あなた様のお父上には別にお手紙を差し上げませんが、どうかこの意をお伝えください。季節は冷え込み始めております。どうかくれぐれもご自愛ください。

中谷雲漢(1812-1875)
所感
中谷雲漢の書風がどの系統に属するか、史料上では判然としない。しかし、ここに掲げた雲漢の尺牘を一見して想起されるのは、荻生徂徠の筆跡である。徂徠の書といえば奔放自在な筆遣いが想起されがちだが、一字ごとの骨子や布置には、両者に通底するものが看取できる。これは、雲漢が徂徠学の系譜に連なるという思想的背景と決して無関係ではないだろう。
