
醴泉翁和河伯潜七律一首 筆者蔵
才藻曾聞二陸賢春風邂逅大都邊
素情太樂陪同坐勝事偏期題策篇
華屋尊前游忽短如蘿松上意相纏
謝君時寄懇勒語筆翰從來流若泉
右余偶訪木世肅蒹葭堂平安河伯潛攜市君光先余在坐因得新通交伯潛有事中坐辭去旣而見惠佳什次韻謝答
醴泉草
現代語訳
あなたの豊かな才能については、かつての文豪である陸機・陸雲の兄弟にも匹敵するとかねてより聞き及んでおりました。このうららかな春風が吹く中、大都市の片隅(蒹葭堂邸)で思いがけず巡り会えたことは、誠に幸運なことでした。
飾り気のない心で打ち解け、あなたとお座敷を共にできたことはこの上なく楽しく、この素晴らしい出来事をぜひとも詩に書き留めたいと心待ちにしておりました。
華やかな屋敷での宴席は、あまりに楽しくて時間はあっという間に過ぎ去ってしまいましたが、私の心は、松の木に絡みつく蔦(つた)のように、名残惜しくあなたに惹きつけられたままです。
わざわざご丁寧な言葉を尽くしたお手紙を届けてくださり、感謝に堪えません。あなたの筆運び(詩文の才能)は、古くから言われている通り、まるで湧き出る泉のように淀みなく、実に見事なものです。
私がたまたま木村世粛(蒹葭堂)の家を訪ねたところ、平安の河伯潜(市河寛斎)が、市君光(市川君光)を連れて先に座っておられました。そこで初めて伯潜と親交を結ぶことができましたが、彼は用事があったため宴の途中で帰られました。その後、彼から素晴らしい詩を贈っていただきましたので、その韻を用いてお返事(次韻)を書いた次第です。
宇野醴泉の書風
江戸中期の儒学者の評伝や門人の記述(例えば、弟子の松崎慊堂や、後の時代に彼の筆跡を論じた『木谷家所蔵墨蹟目録』などの関連資料)において、醴泉の書は「温潤にして趙子昂の風あり」と評されるのが通例です。
醴泉が属した荻生徂徠の学派(蘐園学派)は、唐・宋の古文辞を尊ぶ一方で、書においては端正で流麗な元代の趙孟頫を模範とする傾向が非常に強くありました。

